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タイガーMAX的異業界転職のススメ

転職コラム

俺の転職活動塾!管理人のタイガーMAX です。

大手食品メーカーに勤務する30代社員で、これまで2つの会社で営業、商品企画、海外関連(海外勤務含む)の仕事をしてきました。

この記事では、私が新卒で食品メーカーに就職したきっかけと、別の食品メーカーに転職をするに至った経緯を書きたいと思いますので参考にして下さい。

今回記事を書いたライター
タイガーMAX
大手食品メーカー勤務歴15年。

これまで営業、マーケティング、商品企画、海外勤務などを経験。リーマンショックのどん底から這い上がった経験をバネに就職・転職活動情報を発信しています。
俺の転職活動塾!

新卒で仕事を選んだ理由は「ネームバリュー」

新卒時代の企業を選ぶ基準は、海外関係の仕事、商品に興味がある、会社のネームバリューの3点でした。

今考えると、本当に世間知らずで表面的なところしか見ていない生意気な学生でしたが、根拠のない自信と行動力だけはありました。

そんなに景気の良い時代でもなかったので、

「面接で落ちるのは当たり前!」

という考えのもと、気なる企業には片っ端からエントリーして最終的に内定が取れた会社の中から、一番行きたいところに就職しよう!と考えました(あれこれ悩むよりも、とにかく行動!)。

食品メーカー、日用品メーカー、化粧品メーカー、商社を中心に就活を始め、最終的には5社から内定をもらいました。

最初から就活は厳しいものだ!落ちて当然と思って就活をしていたため、実際に内定が出た時は、こんなあっさり内定がでるんだ!と拍子抜けしたのを覚えています。

内定をもらった会社の中から、最も商材に興味があり、海外関係の仕事ができそうな食品メーカー企業を選択しました。

同期は安定志向とブランド意識の持ち主ばかり

私が新卒時に入社したこの会社は、おそらく知らない人はいない業界No.1の会社です。

内定式や入社式で同期に初めて会いましたが、会社に対する愛社精神が異常に高く、自信と誇りに満ちあふれている人ばかりでした。

ただし、ガツガツ頑張るというよりは、この会社に入社できた!ということがゴールになっているような人が多く「安定志向とブランド意識」の強い人が多く、なんとなく違和感を感じたことを覚えています。

彼らの気持ちは分からんでもないですが、この時点で少し自分とは違うなぁと思いました。

海外事業部配属が決まる

そんな中で配属先が発表になり、私は本社の海外事業部への配属が決まりました。

正直、最初は営業からスタートするものだと思っていた(実際に文系の同期は9割以上が営業に配属)ので、いきなり本社勤務になりビックリすると同時に嬉しい気持ちで一杯でした。

この時、なぜ海外事業部に配属になったかというと、今から15年前当時はそれほど海外志向の人がおらず、食品メーカーも売上の90%以上を国内で稼いでいた時代です。

海外事業はおまけのような存在で、仕事ができる人が集まる部署というよりは、とりあえず英語ができる人が集まる部署という時代でした。

ですので、海外でバリバリやりたいという人はあまり同期の中にもおらず、そういう意味で私はレアな存在でした。

たまたまですが、比較的競合の少ないゾーンで面接を進めていたので、人事も面白いと思って内定をくれたのかもしれません。

一方で、海外でバリバリ活躍したいという野望を秘めていたのは事実で、将来を見据えて英語の勉強にも取り組んでいました。

海外キャリアのスタート

そんなこんなで私のキャリアが始まりましたが、当時の自分はそんな大人の事情は知りません。

単純に希望の部署で働けるということで、大きな喜びを感じ、この会社の海外事業を拡大させてやろう!と真剣に思っていました。

海外事業部の中で、私は輸入部門で働くことになりました。

主な仕事は、海外から日本市場で販売できそうな商品(商材)を見つけ、それを日本市場に売ることです。

海外の展示会に参加して知り合ったメーカー担当者にコンタクトを取り、日本専用商品を開発したり、あるいは既にある完成品を直接輸入する仕事をしました。

私は東南アジア、オーストラリアを担当しましたが、個々人で交渉、調達、マーケティング、営業の全ての工程を行いました。

商売をするにあたっては、貿易の知識、国内需要の見積、原価計算、価格設定、海外との交渉、原材料の確認など幅広い知識が必要になりますが、それら経営全般に関する幅広い知識を学べるところも非常に面白かったです。

海外に出張することは年に何度かあり、仕事自体は非常に充実していました。

海外駐在して仕事するのは難しいことを知る

そんな中、自分はいつか海外勤務をしたいと思っていましたが、現実はとても厳しいことを知りました。

海外に駐在している同僚は、少なくとも40代以降の管理職に限定され、私のような20代の社員はいませんでした。

つまり、このままいくと自分は20年以上待たないと海外勤務ができないことを知りました。

もちろん会社の制度が変わることもあるかもしれませんが、それがいつになるのかは分かりません。

職場の労働環境は、食品メーカー独特のまったりした感じがあり、自分にとっては生ぬるく、ガツガツと向上心をもった人があまりいない印象です(当時、20代の私にはそう感じました)。

まぁ、適当に仕事をしていてもそれなりに給料がもらえますし、特に上から何か言われる訳でもありません。

20代の血気盛んな情熱、行き場に困る

考え方によっては天国のような職場だったかもしれませんが、20代の血気盛んな自分のあふれる情熱の行き場に困りました。

自分が優秀だと思う先輩は、大体中途採用で入社してきた人が多く、プロパーでも優秀だと思う先輩は、ことごとく他社に転職していったのを見て、自分もおぼろげながら転職というものを意識しだしました。

とにかく、生意気ながらも、20代の自分は成長することを貪欲に求めていました。

それに拍車をかけたのが、というもの当時の時代背景と、プライベートの友人です。

商社に勤務している友人はそろそろ海外勤務が決まりそうだという話をしていたり、外資系の銀行で働いている友人は年収が1,000万円以上あるというような刺激的な話がチラホラ聞こえてきました。

当時は、リーマンショック前夜の超好景気な時代です。

食品メーカーは不況には強いですが、景気が良くてもそんなに派手さはなく、刺激は少ない世界です。

足元の仕事は楽しいと感じる一方で、自分の将来に焦りを感じていました。

ほんとうに自分はこれで良いのだろうか!?と何度も自分に問いかけます。

転職も考えましたが、同業他社に移るということはあまり考えませんでした。

心のどこかに、この業界は生ぬるいという思いがあり、キャリアチェンジ(キャリアアップ)も視野にいれながら、別の業界への転職も視野にいれていました。

実際に、自分が下した決断は、MBAスクールへの進学でした。

もしかすると、ここなら自分の有り余るエネルギーを吸収してくれるかもしれない!そう考えたのです。

4年間働いた会社を退社する決意を決める

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MBAスクールから合格をもらった後、私は4年間働いた会社を退職しました。

退職する時は、もったいないという人もいれば、後悔はないの?といった質問を色んな人にされましたが、私の心は晴れやかで、むしろ明るい未来しか描いていませんでした。

しかし、この決断が後々の地獄を生み出しました。

それは、2009年に起こった100年に1度の大不況と言われるリーマンショックです!!民間企業は完全にディフェンシブモードに入り、商社に強める友人の会社は業績悪化、外資系の銀行で働く友人も解雇寸前のところまで追いやられました。

でも、MBAの学生だった私は、この時何が起きていたのか、正確に理解していませんでした。

景気が悪いとはいえ、新卒の時にあまり苦労せずに内定を取り、希望の部署に配属され、その後も成果を出し続けてきた自分は完全に天狗になっており、「俺なら大丈夫!」という自信しかありませんでした。

卒業前には、景気回復するでしょ!程度にしか考えていませんでした。

就職活動で現実を知る

しかし、実際にMBAも終盤に近付き、就職活動をするときに、現実を知り衝撃を受けました。

まず、求人がない!!そう、受けたいと思える会社、受けられる会社がないのです。

ないものに対しては、応募もできませんし、勝負すらさせてもらえません。

私は、せっかく時間とお金をかけてMBAスクールで学び、自己投資したはずなのに、逆に窮地に追いやられたのです。

それでも、とにかくどこかに就職しないといけないという思いから、少しでも興味のある会社は全部受けようと思いました。

自信の実務経験の短さを痛感

その時、希望要件に合致した唯一の求人が、外資系の日用品(消費財)メーカーでした。

マーケティングや商品開発職での募集でしたが、良い所まで面接は進みますがどうしても内定が出ませんでした。

理由は、自分の実務経験の短さと、専門性です。

企業も余裕のある時はポテンシャルを加味して採用してくれますが、100年に一度の大不況なので、会社はその業務に精通している人を求めていました。

もはや頑張るので採用してください!という精神論が通用する時ではありません。

ですが、自分には実務経験というものが圧倒的に不足している現実は変わることがなく、もはや万事休すです。

転職で悩むタイガーMAXのもとに転職エージェントから1通のメールが届く

そんなこんなで、時間だけが経過していきましたが、そんなある日、登録していた転職エージェントから突然1通のメールが届きました。

そこには「世界中で事業を展開する日系の大手食品メーカーから求人があるので受けませんか?」とのお誘いが。

ただし、私が希望する職種ではなく「営業職」の募集でした。

食品メーカーという点は気になりましたが、贅沢をいえる身分ではないことは重々理解していましたし、このチャンスを逃すと次はどうなるかも分かりません。

とにかく入社すれば、その後はなんとでもなる!!

MBA時代に企業分析などは日常的に行っていましたので、さっそく企業のアニュアルレポートをみながら対策を始めました。

すると、売り上げの半分が海外で世界中に事業所があると記載があります。

事業内容も非常に安定していますし、海外で働ける可能性が非常に高いことを確認し、テンションが一気に上がりました。

タイガーMAXの営業人生のスタート

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正直、新卒の時はあまりマークしていない会社でしたが、調べるうちにどんどん興味がわいてきました。

ただし、募集職種は「営業」です。

一瞬ためらいましたが、頭でっかちになってはいけないと思い、必死に過去の営業経験を思い出しながら、企業目線でどのような人を採用したいのかを必死で考えました。

この会社とは相性が良かったのか、運よく私の事を評価してくれました。

その結果、採用通知が届き、再び社会人になれることに、私は心から喜びを感じました。

とにかく、これまでとんとん拍子で来てしまった自分への戒めの気持ちもあり、まずは営業を徹底的に極める覚悟で、初心に立ち返り謙虚な気持ちで働く決意をしました。

最初に配属されたのは私の実家のある県(自ら希望した)になりましたが、正直、本社からは完全にノーマークの名もなき田舎の支店です。

ただ、地元という事もあり私にとっては非常に快適な環境でした。

かつての様に、成長だなんだという考えは影を潜め、とにかく謙虚に、働かせてもらえることそのものに幸せを感じるようになりました。

営業という仕事もやってみると非常にやりがいがあり、お客さんとも良好な関係を築くことができましたので、このままずっと地方の営業マンも悪くないと本気で思っていました。

組織の一員として会社で働けるという、当たり前のことに感謝をしながら、充実した日々を過ごしていました。

東京への異動勧告を受ける!

そんな2年ほどたったある日、突然上司に呼びだされ、異動を告げられました。

「来月から本社勤務になるから、引っ越しの準備をするように!」これには突然すぎて、ただただ驚きました。

どんな仕事をやるのか聞いても「よくわからん!」くらいにしか説明はされず、それでもお世話になった営業所の人達、お客さんに別れを告げて、私はまた東京に戻ることになりました。

なお、私の異動先の部署は、マーケティング戦略部という部署でした。

そこで、全ブランドの予算配分や、全体の利益を管理したりする仕事を行うことになりました。

この業務を行うに当たっては、MBAで学んだ知識を大いにいかすことができましたし、海外ともやりとりをしますので、語学力をいかす機会もありました。

その当時、本社内では大きなプロジェクトを立ち上げた時期でもあり、私はプロジェクトメンバーとして参加をするようにもなりました。

幸い同僚には恵まれ、忙しいながらも楽しい日々を送りました。

そのプロジェクトがひと段落した時点で、海外勤務の話をもらい、30歳の時に念願の海外勤務をさせてもらいました。

転職は社風とのマッチングが大切

結果論にはなりますが、あの時転職を決断したことで、10年間は早く海外勤務をすることができましたし、よりエキサイティングな環境で仕事をすることが出来るようになりました。

正直私の話は、結果論として上手くいったに過ぎません。

もう一回同じことをやれと言われても、上手いくかどうかは分かりません。

そういう意味では、本当に運が良かっただけなんだと思います。

ただ、経験からアドバイスをするとすると、やはり自分の性格と社風のマッチングは大事、それから自分が絶対に譲れないことは、妥協せずに追い求める姿勢と、自分がどれだけ具体的な行動に移すことができるかに尽きると思います。

皆さんの健闘を祈ります!

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